ロードスターの達人 INTERVIEW
  • 車両開発本部 竹内 良敬・ 元吉菜緒子・古川 千尋
  • 車両開発本部 木村 隆之・ 川田 浩史
  • パワートレイン開発本部 延河 克明・石川 美代子
  • 車両開発本部NVH性能開発部 服部 之総
  • パワートレイン開発本部 星野 司 ・ 佐々木 健二
  • デザイン本部 クレイモデラー 淺野 行治
  • デザイン本部 チーフデザイナー 中山 雅
  • 技術本部 生産企画部 安井 伸一
  • 商品本部 商品企画部 中村 幸雄
  • パワートレイン開発本部 藤冨 哲男
  • 車両開発本部 副主査 高松 仁
  • 車両開発本部 主査 山本 修弘

ロードスターらしいマニュアルトランスミッションを創ろうや
想いは世代を越えて、人生を越えて

パワートレイン開発本部ドライブトレイン開発部

<マツダ ロードスター マニュアルトランスミッション開発担当>
延河 克明 (写真1段目)

<4代目マツダ ロードスター クラッチシステム開発担当>
石川 美代子 (写真3段目)

 2014年5月、広島のマツダ本社の一室では熱いプレゼンテーションが繰り広げられていた。4代目ロードスターの開発も終盤を迎え、各領域のエンジニアたちが、開発の方向性を確認し合い、進捗の状況を報告していた。マニュアルトランスミッションの開発を担当する延河の姿も、その中にあった。
 持ち時間をいっぱいに使ったプレゼンテーションが終わった後、延河は“ひと言いいですか”と前置きをして言葉を続けた。
「私はこのトランスミッションを、私の上司であった松ヶ迫に捧げます」
 初代ロードスターのドライブトレインを開発した松ヶ迫は、3世代に渡るロードスターのマニュアルトランスミッションをすべて担当した唯一のエンジニアである。
「松ヶ迫はとても厳しい人でした。そしてむちゃくちゃやさしい人でした。突然怒鳴り散らすような男でしたが、オレのやってることは全部くれてやるからしかと見て盗めと、新米だった私のことを完全に心の中に受け入れてくれるような男でもありました。
 打ち明けると、40mmというシフトストロークも松ヶ迫が導き出した数字です。シフトチェンジが完了したという感覚を確実にドライバーに伝えつつ、一連のドライビング操作に支障なく、むしろもっともっと、次のコーナー次のコーナーとドライビングのリズムを生み出してゆくことができる、たった1つの解。いずれ4代目ロードスターの開発が始まるだろうと彼が検証を始め、残していった数字や理論は、他にもたくさんありました。その1つ1つについて、私の全霊を傾けて検証を重ね、さらに新しい工夫を加え、図面を引き、そしてこれしかないという6速のマニュアルトランスミッションを完成させました。」

 「私はこのトランスミッションを持って、想い半ばで去った彼の墓前に報告しに行きたいと思っています。世界中のロードスターファンが待ち望んでいる、ロードスターらしいトランスミッションを創ろうや、と常々話していた松ヶ迫先輩に、とうとうできました!と伝えたいんです」
 静まり返ったプレゼンテーションルーム。延河の言葉が終わると同時に、拍手に包まれた。その場にいたすべてのエンジニアたちも、それぞれの想いで、ロードスターらしい、という課題の意味と重さに立ち向かってきた。

クラッチ操作にフィーリングの新基準を
それこそロードスターに許されるたった1つの答え

 クラッチを担当した石川の靴は、左側だけ傷みが激しい。つま先の辺りを横切る折れ痕が片側にだけしっかりと刻まれた不揃いな靴を履いて開発の現場を行き来する彼女もまた、ロードスターにとってのクラッチとは、というたった1つの解を求めて葛藤を重ねてきた。

「踏めば切れて、離せばつながる。クラッチなんてそれで十分だと思っていませんか?違うんです。知れば知るほど、クラッチは深いんです。素晴らしい、という領域に到達できたとき、クラッチはドライビングのリズムを刻むことさえできるんです」
 もの作りが好き、という一念でマツダの門をくぐった石川は、入社当時、運転免許証さえ持たない18歳の少女であった。クルマづくりの一員として選ばれた事実を高みに昇らせるために、石川は公私に渡るすべての機会を利用して、ありとあらゆるクルマを運転しまくった。マツダのテストコースを走るために必要なライセンスも取得し、間もなくAランクテストドライバーとしての資格試験にもパスするだろう。もの作りに憧れた少女は、いま、誰よりも厳しい目でマツダのクラッチを見つめるエンジニアである。
「生意気を言うようですが、少しずつ経験を積む中で、マツダのクラッチに対するこれまでの考え方に疑問を抱くようになりました。もっと1つの方向性を明確に示すべきだと思ったんです。どのモデルを運転しても、あぁ、これこそマツダ車だねと感じることができるクラッチでなければダメだ。
そしてロードスターでは、マツダ車であって、しかもこれぞロードスターだと胸がときめく次元まで感性性能を高めなければダメだと、強く思ったんです」

 マツダ車のクラッチに新しい価値を与えたい。そう願う石川に、マツダのクルマづくりのすべてを刷新するスカイアクティブテクノロジーの開発、という好機が訪れた。石川は来る日も来る日もクラッチペダルを踏み続け、クラッチを単なる動力断続機構から、人馬一体を表現する1つの価値に高めるための研究を続けた。
「克服しなければならない課題は、山のようにありました。例えば、踏み込む時と戻してゆく時のそれぞれの力加減が、もっとも気持ちよいと感じられる力学的なカーブはどのようなものか。クラッチとフライホイールが触れる瞬間、離れる瞬間の感触をどのようにドライバーに伝えるべきか。そして、クラッチの断続操作に必ず伴うシフトチェンジとの関係を最高に高め合うことができる方法。このような数え切れないほどの課題を、マツダ車らしさの表現として感じられるまでに磨きあげるための挑戦だったんです」
 スカイアクティブテクノロジーの実現に取り組む石川にある日、心踊る話が飛び込んだ。
“ロードスターのクラッチも担当してほしい”。
「やった!と密かに思いました。SKYACTIV-MTの開発を始めるときに作った“理想のクラッチ操作フィーリング”の考え方をベースに、ロードスターらしい味付けを加えた構想をあらかじめ準備していたんです。スカイアクティブを超えたスカイアクティブと言ったら変な言い方ですけど、最上級のフィーリングを持つクラッチというロードスターだけの目標を設定していたんです。私にとってロードスターのクラッチ開発は、待ち構えていた仕事だったんです」

理想の姿を誰も譲らなかった
そして、誰も諦めなかった

 クラッチディスクは強靱であると同時に、1mm以下のわずかな変化量の中に膨大なノウハウが求められるクッショニングスプリングがあり、摩擦材の材質や平滑性などによっても操作のフィーリングがガラリと変わってしまうほどデリケートな部品でもある。石川は、自ら立てたロードスターだけのクラッチという目標に向かって、妥協することなく開発を進めた。運転席に座り、パッド角やペダルの高さなどを徹底的に突きつめたクラッチペダルの上につま先を載せ、静かに踏み込むだけで、そしてクルマが動き始めた瞬間から、クラッチにここまでの可能性があったのかという感動を覚えるほどのフィーリングの追求であった。けれども石川の開発は、クラッチ単体の心地よさに止まるわけにはいかなかった。ドライビングのリズムを刻む1つのパートとなるためには、マニュアルトランスミッションを担当する延河との連携が欠かせなかったのだ。
「シフトチェンジにはリズムがあり、すべてのギアに個性があるんです。あるギアからニュートラルの位置までの移動量は、手元で40mm。次のギアまでの移動量を加えると80mm。ドライバーの手首は、その間をわずか1秒足らずで完結するシフトチェンジの旅をします。その道程の中にも、リズムを持たせたい。ドライバーが手を添えるシフトレバーのもう一方の先端、狙ったギアを次々に切り替えてゆくシフトフォークというメカニズムにとっての、たった18mmの道程の中にリズムを見つけて、クラッチ操作と最高のハーモニーを奏でること。
それこそ、ロードスターならではのドライビングのリズムなんです」

 延河のトランスミッション開発に掛ける誓いにも似た想いは、針の穴を通すほどの厳しい目標値となって、次々と石川に投げかけられた。石川もそれに怯むことなく応え続けた。石川の言葉だ。
「延河だけではありません。ミリ単位のズレも許容しないクラッチペダル、当初の想定よりも20mm下げて内側へ寄せなければドライビングの楽しさを実現できないと主張するシートレイアウト、パーキングブレーキレバー、ステアリング……、ありとあらゆる要素が密集するコクピット周りの設計は、本当に実現できるのかと思うほどの難しさの中を手探りで進んでいったんです」
 けれども誰も目標を譲ることなく、そして誰も諦めることなく、熾烈を極める議論と設計、
検証の末に、ロードスターらしいリズムを刻むコクピットは完成した。
 延河がこんなことを言った。
「開発に携わる誰もが、自ら担当する技術領域の理想を簡単に譲ることはありませんでした。もちろん私も、そうでした。けれどもそれはエンジニアとしてのエゴではなく、4代目ロードスターの生みの親としての責任感によるものだったんです。熱い議論が連日繰り広げられました。そして、その1mmを譲ったら理想のロードスターにはならんのじゃ! というようなたくさんの声は、もっと工夫しよう、もっと知恵を絞ろうという、数え切れないほどの声に生まれ変わっていったんです。それほど熱い開発でした。

 機会があったら、完全に新造したトランスミッションケースを見てください。十分な強度と薄肉化による軽さとコンパクトさをすべて満たした結果、表面が完全にツルツルになってます。生産技術の担当者から、これは一体どこを持って組み立てるんじゃと指摘されたほどです。けれども彼らは、よし任せとけと言って知恵を絞ってくれました。どこをとっても、開発に携わったエンジニアたちの諦めない心が生み出した、これぞロードスターなんです」

 それから半年近くが経った10月初旬、相変わらず不揃いな靴で急ぐ石川の姿があった。
「明日から三次のテストコースに缶詰めなんです。実は……」
 実は?
「実は、クラッチ操作のフィーリングをもう1度詰め直すんです。どうしても最後の一歩が納得いかなくて、変更しないと絶対にダメだと上司に直談判して。無茶苦茶やなと言いながら、でも、やってみろって。もっとよくなりますよ、もっと!」
 あなたがこれを読んだ今日も、もしかするとまだ執拗に食らいついている延河や石川たちの姿が、広島にあるかもしれない。4代目ロードスターが生みの親たちの手から、育ての親たちの手に委ねられるその日が過ぎても次のステージを目指して、きっと。