MAZDA

MAZDA 100TH ANNIVERSARY

ファミリア (5代目)
「ファミリア」ついにFF 2BOXカーに変身
1980年登場の5代目「ファミリア」。当時のカタログや広告・新車記事では「最後のFF」という言葉を目にします。“FF”とは前輪駆動の意味。この頃、世界の小型車は“FF2BOXカー”が主流となりつつありました。クルマのパッケージング用語では、エンジンルーム、乗員スペース、トランクをそれぞれ一つの箱に見立てて、セダンやクーペを1+1+1=3で3BOXと呼ぶことがあります。対して2BOXとはエンジンルームを1、乗員スペースとトランクを一体で1と数え、合計2となるハッチバック車の意味です。昔の2BOXは商用バンが主体だったところに、欧州で合理的な小型車としてFF2BOXが登場しスペース効率と利便性の高さから瞬く間に世界中に広がりました。5代目ファミリアはまず3ドアと5ドアのハッチバックが登場、続いて「サルーン」と呼ぶ3BOXの4ドアセダンが加わりました。
1500 3ドアハッチバック XG(1980年)
1500 サルーン XT(1980年)
実は、1977年登場の4代目も2BOXでしたが、“FR”=後輪駆動でした。当時の東洋工業(現マツダ)にはFF化のための新エンジンと、それに適合するトランスミッションの開発・生産に大規模な投資をする余裕がなく、やむなく既存のFR用エンジン、シャシーの改良版に2BOXボディを載せたのです。しかし、使い勝手が良く合理性に優れる装備や、シンプルで機能的なデザインが好感され、いち早くFF化されたライバル車を相手に健闘しました。それと並行して社内ではFF車の市場調査や、基幹技術の開発を着々と進めて行きました。そのような経緯もあって市場では最後発となったために、「最後のFF」という言葉が出たのです。そこには先行するライバルたちに負けたくないという、開発者たちの意地も垣間見えました。
デザイン
スタイルは居住空間、視界、空力特性の順に煮詰めて行きました。標準的な小型車のホイールベース内で、長めの室内長を確保しました。外観デザインはシンプルでシャープな線と面による構成。ウェッジシェイプ(クサビ型)を基調として、広めのトレッドが安定感のある台形のフォルムを形成します。広いガラスエリアと相まって明るくスポーティーな印象です。フロントのエアダムスカートやリフトゲート上面を少し跳ね上げたダックテール処理などにより、2BOXとしてはトップクラスの空力性能が、燃費にも貢献しています。
一方で室内は、快適性、機能性、多用途性に富み、創意工夫にあふれています。インパネはシンプルで水平基調、そこに視認性の良い大型のメーターを配置。助手席側はフラットなトレイ形状にして、使い勝手を高めています。シートのサイズは大きめで、リアシートには大半のグレードで分割可倒式を採用し、乗員数と荷物の量に応じてアレンジできるようにしています。さらに1500cc車では前席のフルフラットと6段階の後席リクライニング機構まで備わります。クルマ全体にあふれる軽快さやスポーティーさ、使えて遊べるという期待感に、機能やデザインが見事にマッチしていました。
インテリア(1500 3ドアハッチバック XG)
FF「ファミリア」の高い完成度
クルマの基本性能を決定づけるエンジン、トランスミッション、サスペンション、車体といった主要な構成要素を刷新したFFファミリア。実はマツダがFF車を作るのは2作目で、最初は1969年のルーチェロータリークーペでした。縦置きエンジンの高級パーソナルカーで、総生産台数も1,000台に達しなかったため、実質的には今回が初の本格採用でした。エンジンは横置きFF用に排気量1300ccと1500ccのOHCエンジンを新開発。動力性能の高さに加え、低燃費とクリーンさが特徴です。燃焼室まわりの形状の工夫と徹底的な機械抵抗の低減や軽量化により出力と燃費性能を引き上げ、排ガス対策では希薄燃焼方式にEGRと三元触媒を組み合わせた定評の「マツダ安定燃焼方式」を採用しています。
5代目ファミリアの美点の一つとして語られるのが操縦安定性です。当時のFF車はカーブでクルマの挙動を乱す傾向がありました。その原因のひとつがリアサスペンション。従来、FF車の後輪は追従輪ということで軽視されがちだったのです。しかしマツダは後輪に着目します。旋回時や制動時、後輪は前方からの入力で外側に開く“トーアウト”状態になります。これは後輪が勝手に舵を切ったような状態で、クルマの方向が安定しません。そこで後輪のストラット式サスペンションの横方向の位置決めを行う2本のラテラルリンクを、上から見て車輪側が狭い台形になる独創的な“SSサスペンション”(SSはself stabilizingの略、自分で安定させるという意味)を開発しました。前方からの力によって台形が変形して自らトーアウトを矯正し、後輪を真っすぐ進行方向に向けるのです。簡素でコンパクトな構造ながら操縦安定性への効果も高く、数々の権威ある賞を受賞。その後マツダでは1998年登場の9代目ファミリアまで、熟成を重ねながら継続採用されていきました。
SSサスペンションの機能(1983年のカタログより)
①→② タイヤに前方から力が加わると、タイヤは外側に開こうとします。(トーアウト現象)
②→③ SSサスペンションの場合は、台形を形作るリンクが図のように変形して、トーアウトを打ち消します。
したがって、不整地走行時やカーブ走行時にも、タイヤが正確に進行方向に向かいます。
コンパクトなSSサスペンションはトランクフロアのスペアタイヤ収納部を深くして、荷室をフラットにする効果も生みました。そしてフロントサスペンションにも軽量・高剛性のストラット式を採用、四輪独立懸架とした上でたっぷりとしたストロークのテーパーコイルスプリングを組み合わせて、快適な乗り心地も実現しました。新開発の横置きトランスミッションは剛性感が高く、確実なシフトフィーリングでスポーティーな走行感覚にも寄与しています。 こうした走りの良さが、動力性能、乗り心地、経済性などと高い次元でバランスされ高い評価に繋がっていくのです。
多彩なシートアレンジ(1982年のカタログより)
記録にも記憶にも刻まれるクルマ
最上級グレードの1500XGはクラス初の電動スライディングルーフをはじめ、アルミホイール、特徴的なリアのラウンジソファーシートを標準装備としながら、価格は103.8万円。デザイン、経済性、実用性、価格、どれをとっても魅力的な5代目ファミリアは世界中で大ヒットしました。デビューイヤーに「’80~’81日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞したのをはじめ、海外でも高い評価を受けました。
数々の栄冠を獲得(1982年のカタログより)
月産3万台という高い水準の生産が続き、発売開始からわずか1年半で生産累計50万台に到達。国内では発売から2年後の1982年4月、20,759台を販売して月間販売台数で1位になると、翌1983年末までに通算8回も1位を達成。1982年7月にはFF車として世界最速の2年3か月で生産累計100万台を突破したのです。また、当時日本で起こったサーフィンブームでは、サンライズレッドの1500XGが注目の的に。サーフボードを載せて街に繰り出す「陸(おか)サーファー」と呼ばれた社会現象の中心的存在となりました。もはや若者にとってクルマはステータスではなく自己表現の発信ツール。自分の価値観でドレスアップしたり、クルマを素材にしてライフスタイルを楽しむ時代になったのです。1983年のマイナーチェンジでは電子制御式燃料噴射によるEGI仕様を追加、続けてターボモデルも設定し、6代目にバトンタッチするまで高い人気を保ち続けました。約4年半の累計生産台数は200万台に迫る勢いでした。
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