Interviews

マツダロードスター開発担当主査

山本 修弘 Nobuhiro Yamamoto

1973年にマツダへ入社し、ロータリーエンジンの開発やレース活動に従事。その後RX-7やミレーニア、2代目ロードスター、トリビュートなどの車両開発推進業務に携わり、2002年から3代目ロードスターの車両開発副主査を担当。2007年よりスポーツカー担当主査。

—ロードスターが累計生産90万台を達成するにあたり、率直な感想を聞かせてください。

 まず素直に世界中のロードスターファンあるいはマツダファンと一緒にこの90万台をお祝いしたいです。それから、お客様には心から感謝をしたいという気持ちで僕は一杯ですね。昨年はマツダ創立90周年でした。それと近いところで90万台を迎えられたこともありがたい、うれしいことだと思っています。

—世界中のロードスターファンの方々にどんな気持ちを伝えたいですか?

 いつも思っているのですが、このクルマってお客様がまるで家族のように本当に大事にしてくれているんですよ。ファンクラブミーティングに行ったりしても、自分のパートナーとしてとても大切に扱ってくれている。そんな、「お客様とロードスターのつながり」に、本当にありがたいという気持ちで一杯です。ロードスターは単なるクルマではなく、このクルマを手にし、乗っていただくことによって「だれもがしあわせになる」という大きなメッセージを発してきました。お客様にもそう感じていただけていると思うので、お客様には、とにかく乗り続けて欲しい、今お持ちのロードスターをこれから先もずっと大事に乗り続けて欲しい、その気持ちをぜひ伝えたいです。

ロードスター20周年記念イベントの模様

—21年で90万台というのは決して速いペースではありませんが、これまで地道に続けてこられた最大のポイントは何でしょうか?

 このクルマならではの特長というのは運転する「歓び」とか「楽しみ」を享受できることだと思うんですよ。初代から続いている人馬一体のハンドリング、自分でカスタマイズする楽しみ、あるいはファンクラブミーティングに参加したり、友達とドライブするなどいろんな楽しみがあると思うんです。そしてそこから、様々な人とクルマのつながり、クルマを通じた人と人のつながり、あるいは人と人のつながりからコミュニティに広がるなど、いろんなつながり、広がりが持てることがこのクルマの最大の特長、魅力だと思います。そしてそれが、ここまで続いてきた最大のポイントだと思います。ロードスターならではの魅力があるからこそ、様々なつながりが広がっていくと思うので、その魅力を大切にしていかなければならないし、お客様ともっともっと一緒に喜び合いたい、そんな関係を大切にしていきたいと考えています。

山本修弘


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Interviews

—これまでロードスターの開発に携わってきた中で印象に残っていることは何ですか?

 3代目の開発が一番印象的です。その中でもひとつ挙げるとすれば、やっぱり2005-2006年の日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したときですね。これはマツダにとって実に23年ぶりのことでしたし、私も非常に印象に残っています。開発にあたっては、第三者から客観的に認めてもらえるような目標を持とういうことで、「カー・オブ・ザ・イヤーを取る!」というのをチーム全体の目標として掲げました。これは開発が行き詰ったり、壁にぶち当たったりしたときに立ち戻る言葉があったということなんです。「こんな状態じゃカー・オブ・ザ・イヤーなんて取れないよ。この賞を取るためには何とかしてこの課題を解決しないといけないんじゃないか。みんなで取るって約束したじゃないか。」と、チームのメンバーがお互いに言い合えるようにしたんです。それってやっぱりすごくエネルギーになりましたね。
 この目標はシニアマネジメントさえも動かしました。シニアマネジメントには30回以上もテストドライブに参加してもらい、うまく仕上がっていないときには「君たちはカー・オブ・ザ・イヤーを取るって言ったじゃないか」と激励されました。お互いそれが励みになって相乗効果を生んだことでこの賞を取れたんです。チーム一丸となって目標達成のために全力で取り組んだので、受賞が発表されたときには今までの様々なことが思い出されて涙が出ましたね。そして帰ってからもチームのメンバーと喜びを分かち合いました。また、受賞の際に選定委員長から「人馬一体はマツダ一体ですね。しかもオープンカーとしては初受賞ですし、平和都市広島にあるマツダから生まれたオープンカーということにも意義がありますね。」と言っていただけたことも大変印象に残っています。

パワープラントフレーム

—スポーツカーということで、 生産面で難しかったこと・工夫したことはありますか?

 このクルマはスポーツカーなんだけど、他の車とすごく異なった構造になっているというわけではないんです。実はそこがミソなんですよ。マツダの他のクルマが使ってないような高価な材料とか、世の中にないような特殊な生産設備を使ってしまうと、このクルマのひとつのコンセプトである“アフォーダブル(手に入れやすい)な価格でお客様に提供する”ということが実現できません。だからマツダが持っている技術力をすべて結集して“造りやすくつくる”ということも大きな狙いになっているんです。その代わり基本的なパッケージやレイアウトなど知恵を出すところはきちんとやっています。
 マツダの工場は多品種混流生産であり、ロードスターはデミオと同じ生産ラインで流れているので、生産上の大きな制約があります。その制約の中でロードスターを造るということはエンジニアにとって、また生産技術にとっても大きな課題なんです。そのひとつの事例が『パワープラントフレーム』というトランスミッションとデファレンシャルギアを連結する部品です。これはダイレクトな操作感覚を実現するためのマツダのスポーツカー独自の部品ですが、この組み立ては非常に難しいんです。そのため、生産技術の方にはどうやったら精度よく組んでもらえるか、あるいは作業者の方に負担をかけずに組めるかといったところで、非常に苦心してもらったので、感謝の気持ちで一杯ですね。

山本修弘


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—累計生産100万台あるいは30周年という次の節目に向けて、ロードスターがマツダにとってどんな存在になっていてほしいと思いますか?

 確かに100万台、30周年というのは大きな節目ですが、実は私はあまり意識していません。私にとってロードスターは永遠です。この世に自動車がある限り、ロードスターには生き続けて欲しいと思っています。
 ロードスターはとりわけマツダらしい、象徴的なクルマだと私は認識しています。マツダのブランドメッセージである“Zoom-Zoom”とは、見た瞬間に乗りたいと思い、乗ったら楽しい!と思い、そしてまた乗りたいと思う。まさに運転することでワクワクするような気持ちになる。そうした価値をお客様に届けているのがマツダです。そしてこのメッセージを最もわかりやすく体現しているのがロードスターだと思います。ロードスターはマツダのDNAであり、ブランドを象徴するシンボル的な役割を果たしているのです。だからこそマツダにとってロードスターは大切であり、ロードスターが先頭に立って“Zoom-Zoom”を伝えていけるように取り組んで行きたいという強い意志を、我々は持っています。

—ロードスターの未来を託された「主査」として意気込みを聞かせてください。

 ロードスターというクルマにとって「主査」の存在はとても大きいです。可能性を信じて自らの信念を貫き、ロードスターをこの世に誕生させた平井さん、「人馬一体」というコンセプトを受け継いで見事に発展させた貴島さんという二人の偉大な主査は非常に有名ですよね。そのあとを引き継いだ者としては大きなプレッシャーを感じる一方で、先代主査の方々に負けないように、そして少しでも超えて行けるように頑張っていきたいという思いを常に持っています。そのためにはロードスターの持っている「走る歓び」という本質的な魅力をもっともっと磨いていかなければならないと思いますし、また、自分自身が切磋琢磨し成長することも忘れていけないと思います。
 ただ、ロードスター誕生から21年たって世の中が変わり、車に対する要求も多様化してきています。もちろんこうした変化からも目を離すわけにはいきません。ときには様々な要求の中で、情報が洪水のように溢れ、何が自分にとって必要なのかわからなくなりそうなこともあります。そんなときに頼りになるのは、現実にロードスターと向き合い、大切にしてくださっている世界中のお客様であったり、ロードスターのことを真剣に考えてくださるメディアの方であったり、時には同じ志や悩みを持つ同業他社の方であるわけです。これからはそうした人たちとのコミュニケーション、連携をもっともっと大切にしていかなければならないと強く感じています。
 何が求められているかを常に意識しながら、変えるべきところ・守るべきところを見極め、ロードスターならではの魅力や価値をさらに追求していく。そんなクルマづくりこそ、今私がやりたいと思うし、やらなければならない仕事だと考えています。

山本修弘


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