革新的なクルマの誕生
1980年に5代目「ファミリア1300/1500」が誕生。6月にハッチバック、9月にセダンを市場に投入した。
駆動方式はファミリア初のFFとしつつも、チェンジフィーリングはFR並のダイレクトさを追求。ハンドリングはシビック以上の切れ味を、シートはリビングのソファーのような快適性を目指した。
操安性に優れる独創的なSSサスペンションをはじめ、左右二分割で前方へ折り畳め、リクライニングの角度調節もできる機能性に優れたリアシートを採用。5代目ファミリアはまさに狙い通りの革新的なクルマに仕上がった。
若者の間で社会現象に
ハッチバックでは、ターゲットユーザーである若い世代のアウトドア志向の高まりに着目。シャープな走りが身上のファミリアの特徴を踏まえ、「スポーツごころ」をキャッチフレーズに、北大路欣也さんをキャラクターに起用した。
狙いは見事に的中。特に、電動サンルーフが標準装備の「赤いXG」は市場から圧倒的な支持を得る。精悍な角型のウェッジシェイプデザインと、サーフボードをルーフキャリアに載せたスタイルが大流行し、「陸(おか)サーファー」という言葉が生まれるなど、「赤いファミリア」は時代を象徴する存在となった。
記録的な生産販売台数を記録
5代目ファミリアは記念すべき第一回日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞車に輝き、米国やオーストラリアなどでも多くの賞を受賞。国内販売台数でもカローラ、サニーといった強豪を相手に何度も月間ナンバーワンを記録し、月販台数が1万3千台を超えたこともあった。
1982年には生産開始からわずか27ヶ月で生産100万台を達成。それまでの世界最短記録であったGMシボレー・サイテーションの29ヶ月、VWゴルフの31ヶ月を塗り替えた。
第一回日本カー・オブ・ザ・イヤー
受賞式の模様