第4話
思い出はすべて川の上。
マツダを支えた船頭たち
マツダを支えた船頭たち
渕崎の渡船
真っ青な大空を猿猴川が映していた朝だった。川沿いの船着き場には、マツダの渡船・仁保丸の姿があった。「時間だ」「よし出航」。8時15分、船頭同士のいつもの会話が出航を告げた。ただひとつ違うのは、今日が最後の運航日ということだった。
1958年から16年余り、本社と対岸にある渕崎工場を結ぶ交通手段として、月間1万人の社員を送迎してきたのがこの渡船だ。60年代の半ばに県道として整備された仁保橋の利用が増えた結果、ついにこの渡船も幕を下ろす時が来たのである。
いつも通り渕崎へ漕ぎ出しながら、船頭が思い出していたのはあの日のことだった。
「誰か川に落ちたぞ!」
岸からそう叫ぶ声に気づくと、ボートが転覆し父子が溺れかけている姿が見えた。とっさに船を向け、川の中で息子を抱え上げている父親に手を伸ばしていた。無事二人とも救い上げたがあの子はいくつになっただろうか。命の重みを今も手が覚えている。
一方、苦笑まじりに思い出されるのは60年代の通勤ラッシュのことだった。「朝礼に間に合わない」と船に飛び乗ったはいいが、勢い余って浅瀬に落ちた社員を何度拾い上げたことか。船が途中で故障した時は、泳いで予備船を取りに行くこともあった。懐かしさの中の一抹の寂しさ。だが何より船頭たちの心の中を占めていたのは、任務を全うしたという誇りであった。
本社から渕崎へ、渕崎から本社へ、いつも通り40往復。そして16時50分、遂に本社発最終便を終えようとする時だった。そこには予想外の光景があった。夕闇迫る渕崎工場から大勢の人が顔を出して帽子を振っているのだ。朝夕よく見る顔、顔、顔。多くの社員にあたたかく送られ、長年の仕事が報われた仁保丸は、静かにその役目を終えた。
当時の航路
猿猴川の風景
渡船の航路、仁保橋より撮影 (2020年現在)
仁保丸運航の様子 (1974年)