MAZDA

MAZDA 100TH ANNIVERSARY

第5話
その赤が、未来を照らす
ソウルレッドの誕生と進化

「カラーも造形の一部である」

魂動デザインを象徴するカラーの開発はこの思想を掲げて始まった。ダイナミックかつ繊細な面構成を際立たせるための飽くなき挑戦だった。

問いはまず、「そもそも何色なのか?」という原点に向けられた。マツダの歴史を支えてきた色とは何か。生命感や情熱というキーワードを象徴する色とは何か。重層的な思索からたどり着いたのは、「赤」。「クルマはただの鉄の塊ではなく命あるもの」というデザインの哲学を、深みと鮮やかさを両立させた赤色に求めたのだ。

ではその赤をどう実現していくのか? 芽生えた理想を確かな形に結実させるべく、試行錯誤は続く。一台きりのコンセプトカーであれば、十数回も色を塗り重ね、デザイナーが求める独特の質感や透明感を表現することができる。だが、量産車のカラーは通常の生産ラインで塗装できなければ意味がない。開発や生産技術の担当者たちと思いを共有し、役職や立場の垣根を越えた協働が加速していく。量産工程にのせるため、標準的な三層塗りの範囲内で理想の色を実現するという重要な判断が下された。あらゆる技術の革新が求められたが、 もちろん塗料は開発してもらう必要がある。ならばと、塗料メーカーと何度も話し合いを行い、色の特長や質感を伝えながらともに開発に向き合った。いつしか、チームはサプライヤーまで加わった広範な協働となり、互いの専門性と矜持をぶつけ合いながら開発を続けた。塗装の工法にもこだわった。 十数ミクロンという極小の粒子の中に色の成分をどれくらいの割合で含ませるか?

ソウルレッドプレミアムメタリック

量産ラインにおいて、混層を防ぎ理想の重ね塗りを実現するにはどうすれば良いか? 各領域で様々な挑戦が積み重ねられていった。

こうした進化を経て出来上がったのが 「ソウルレッドプレミアムメタリック」だ。マツダ車を代表する魅力的なカラーとして、価格がプラスされる特別色にもかかわらず多くのユーザーが指名買いした。「信号待ちのときに周囲の視線を誇らしく感じる」「遠出が楽しみになってきた」といった嬉しい声も寄せられた。さらに、その深みと鮮やかさに魅了されたユーザー同士で交流が生まれ、ボディ色単独のファンクラブまで結成されるという、 絶大な存在感を持つカラーとなった。

造形の深化とともに、カラーの追究はさらに続いた。その先に目指すは「人の心をつかんで離さない〝世界一〟の赤」。この世にまだ存在しない色を生み出すためには一切の妥協は許されないが、その色は確かに「自分たちの中に」ある。 このため本格的なタスクチームを結成し、それを世に送り出すためのありとあらゆる手段が検討された。「まだない色」をある者はマグマに例えてみた。ある者はこれぞと思う宝石を挙げた。 「濁りのないシェードの深い赤」「深みと鮮やかさの両立」……まずは言葉ありき。徐々に概念が収斂していくと、次は視覚化、具現化だ。「ならば感性を数値化しよう」。エンジニアの一人が、最新の光学測定装置を持ち込んだ。 例えばグラスの見映えにしても、見る場所や時間によって「良さ」は移り変わる。デザイナーが「良い」と思う瞬間の、対象物の光のスペクトルを分析し、感覚との関連性を分析。目指すべき赤色のゴールを数値化したのである。

追究の果てに生まれた「ソウルレッドクリスタルメタリック」は、さらに深みと艶感を増した赤へと進化し、ユーザーを魅了し続けている。しかし挑戦に終わりはない。まだ世にない色を描き出し、ユーザーと新たな感動を共有するための「問い」が続く限り、その進化はさらに続いていく。

ソウルレッドクリスタルメタリック

マツダ「赤」の歴史を紐解く!

マツダはこれまでに40色以上もの赤色を設定しました。1962年に誕生したキャロルには宮島の大鳥居を彷彿とさせる名称の「トリイレッド」を設定。1980年代には"赤のXG"と呼ばれた初代FFファミリアの「サンライズレッド」に、ユーノスロードスターの「クラシックレッド」。1990年代はアンフィニRX-7の「ヴィンテージレッド」。 2000年代はRX-8の「ベロシティレッドマイカ」。そして2012年に誕生した3代目アテンザに「ソウルレッドプレミアムメタリック」を初採用しました。更に、ソウルレッドは「ソウルレッドクリスタルメタリック」へと進化、マツダの「赤」の歴史はこれからも続きます。
サンライズレッド:
ファミリア (1980年)
クラシックレッド:
ユーノスロードスター (1989年)
ヴィンテージレッド:
アンフィニRX-7 (1991年)