このままでは次のロータリーエンジンが世に出せない――
90年代初めのこと。2年を費やした研究が完全に行き詰まり、開発スタッフはもはや打つ手なしの窮状を迎えていた。ロータリーエンジン(RE)の燃費性能や環境性能を大きく向上させ、次の時代につなげていく極めて重要な新技術の開発だった。1967年にコスモスポーツで実用化に成功して以来、マツダを象徴する技術であり続けたロータリーエンジン。その進化はここで終わってしまうのか。REの終焉をも予感させる危機的状況に、「そんなはずはない。まだまだ打つ手はある」と、立ち上がった一人のエンジニアがいた。
「もし今RE開発を終了してしまったら、これまで積み上げてきたものが全て否定されたも同然じゃないか」。そう言い放った彼には、これまでRE開発で成果を挙げ続けてきた自負があった。そして自らのアイデアこそがこの苦境を切り抜ける決め手になると信じて疑わなかったのである。
志願してリーダーとなった彼は、REの燃費・排ガス性能の改善とコストの削減を両立する画期的な吸排気構造のアイデアを掲げ、自ら選抜したスタッフとともに開発に着手した。ところが待ち受けていたのは、予想外の展開。1次試作エンジンまでは計算通りの画期的な性能改善を得られたのだが、出力や燃費、耐久性との高度なバランスを取る2次試作エンジンになると雲行きが怪しくなり、思うような結果が全く得られなくなったのだ。
あれほど強かった自信もやがて揺らぎ始め、次はどこに活路を見出そうかと、思案に思案を重ねる日々が続いた。そんな折、解決の糸口を求めて藁にもすがる思いで貪り読んだ古い資料の中に、丁寧に整理された膨大な開発記録を見つけた。60年代、世界中の企業と熾烈な開発競争を繰り広げ、6年もの歳月をかけてREの実用化に成功した偉大な先人たちが残したものだった。
無論、数十年前に書かれたものだけに、技術レベルでは現在の水準に及ばないものもある。しかし、何よりも彼が驚いたのは、その体系化された内容だった。当時の一つひとつの技術課題に対して、取り組みの途中経過や考察、今後の対応策などが克明に記されていた。それはまるで、20数年後に後輩たちがその後を引き継ぎ、この資料を読み返すことを予見したかのように、洗練された文章で丁寧に書かれ、手書きの図表も駆使して整理されていたのだ。しかも現代とは違い、パソコンや専用ソフトなど便利なツールが全くない時代にである。彼は先人たちの知慮に敬服すると同時に、後進のことまで気が回っていない自らを恥じた。この一件が彼を大いに奮い立たせ、「絶対に新時代のロータリーを完成させる」と心に誓わせた。
彼はスタッフとともに幾多の苦難を乗り越える。最先端の技術を惜しみなく投入した新型エンジンは、REの次世代への扉を開いただけでなく、海外でエンジン・オブ・ザ・イヤーに選出されるほどの高い評価を受けた。エンジニア冥利に尽きる快挙だ。
彼には成功を後押ししたもうひとつの忘れられないエピソードがあるという。先が見えず最も苦しんでいた時に、OBの山本健一と語り合う機会を持ったのだ。かつてREの実用化のため寝食も忘れて研究に取り組んだ、マツダのRE開発の第一人者、その人である。「私たちは精神的にギリギリまで追い詰められたので、神様と崇める〝ロータリーの父〟に叱咤激励してもらおうと思ったのです」。ところが、山本は厳しい言葉など一切口にせず、むしろ優しく微笑み、「君たちは、僕たち以上に苦労しているね」と労いの言葉を掛けたのだ。「悪戦苦闘するエンジニアを思いやる言葉に、私や部下は本当に救われました」と彼は述懐する。
世界でも類のないREの開発は、手本にできるものが一切ない。孤立無援の状況から手探りで突き進んでいく塗炭の苦しみがある。しかし、心血を注いで苦難を乗り越えた先には、世界的な反響や高い評価、何よりも絶大な達成感が待ち受けている。彼やスタッフは難題と格闘し続けた日々を振り返り、山本が率いた先輩エンジニアたちに近付くことができた……そんな実感を抱いた。それはどんな勲章よりも誇らしく、彼らの胸に燦然と輝いたのである。エンジニア生命を賭けた者にしか辿り着けない無類の境地と歓びがそこにあった。
RENESIS(レネシス)の由来
エンジン・オブ・ザ・イヤー受賞
本賞は、世界各国の有名自動車ジャーナリストによって選出されるもので、2003年は「ベスト・ニューエンジン・オブ・2003」と「2.5~3.0リットル」部門の部門賞を同時に受賞。部門賞は8つの排気量別に分類されており、部門賞を獲得した8つのエンジンから選出される「インターナショナル・エンジン・オブ・ザ・イヤー」も受賞しました。
2004年も本賞において、「2.5~3.0リットル」の部門賞を連続受賞しました。