MAZDA

MAZDA 100TH ANNIVERSARY

第13話
同じ壁なら、高い方がいい
84時間レースに挑戦

1968年、東洋工業は完成間もないロータリーエンジンを世界一過酷と評される耐久レースに送り込んだ。そのレースとは「マラソン・デ・ラ・ルート84時間」。難攻不落なテクニカルサーキットとして名高い全長28㎞のドイツ・ニュルブルクリンクを三日半にわたって走り続ける、途方もない一戦だ。耐久レースであれば、4時間や6時間といった、もう少しハードルの低い選択肢もあっただろう。しかしあえて世界最長の84時間レースを選択したのには理由があった。

その当時、ヨーロッパではドイツのNSU社がいち早く世界初のロータリーエンジン搭載車を市販していたが、未来のエンジンと騒がれた割には、市場の反響は今ひとつだった。誕生したばかりの新機構のエンジンだけに、世間はその信頼性や耐久性に懐疑的だったのである。東洋工業は世界初の2ローター・ロータリーエンジンを実用化した自動車メーカーとして、ロータリーエンジンの技術に対する懸念や不安の声を黙って見過ごすわけにはいかなかった。多くの苦難を乗り越え、やっと実用化したエンジンへの自負があったからこそ、一部の悪評を払拭すべく、果てしなく過酷な耐久レースをあえて選んだのだ。しかも、国内レースよりも伝統的な国際レースの方が遥かに注目度は高く、世界の強豪を相手に好成績を収めた際のインパクトは絶大だ。その分、結果が伴わなければイメージダウンを招くリスクもあるが、「我々のロータリーエンジンの実力を白日の下で証明してやろう!」と気勢は上がる一方。威信をかけた挑戦に全く躊躇はなかった。

ただ、この参戦はロータリーエンジンでの初レースとなっただけでなく、レースの本場・欧州への遠征も、本格的な耐久レースも東洋工業は未経験だった。本番までの1年間、レース用の高出力エンジンを開発し、ベンチ性能テストや綿密なレースシミュレーションを実施。三次自動車試験場ではコスモスポーツのレース仕様車の耐久走行テストを繰り返した。様々な試行錯誤を繰り返しながら、未踏の84時間レースに向けた準備は着々と進んでいった。

そして迎えたレース本番。東洋の島国から実力未知数のエンジンで乗り込んできた無名メーカーに向けられたのは、ただ好奇の目ばかりだった。しかし、いざ戦いの火蓋が切られると観衆の認識は一変する。周囲の不安をよそに、2台のコスモスポーツはロータリーエンジン特有のエンジン音を轟かせながら、ドイツの難コースを快走。全59台が出場する中、レース中盤から10位以内の好位置に喰い込む大健闘を見せたのだ。無念にも、うち1台は82時間過ぎ、走行中にリアタイヤが外れるトラブルでコースアウトし、チェッカー目前でリタイアを喫するが、残る1台が無事84時間を走り切り、ポルシェ、ランチアに次ぐ総合4位という好成績でフィニッシュを果たした。

殊勲のマシンが三日半で走破した距離は、実に9700㎞超。この間、ロータリーエンジンは快調にスピードを保ち続けた。この快挙はエンジンの信頼性や耐久性を全世界に強烈に印象付ける結果となり、東洋工業の誇りを賭けた挑戦は大成功を収めたのだ。

仮設ガレージでの整備
仮設ガレージでの整備
練習走行シーン
練習走行シーン
スタートシーン
スタートシーン
レース走行シーン
レース走行シーン

【秘蔵映像】1968年マラソン・デ・ラ・ルート84時間

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