年表で辿る百年史
第5章 フォード社との資本提携 ~ 国際的ビジネスの推進
2度の石油危機を通じて、省資源で経済性に優れる小型車が世界的なブームとなり、低価格で高品質な日本車が注目を集めるようになります。ここで東洋工業は、小型ピックアップトラックの車両供給を通じて関係を深めてきた米国フォード社との資本提携に踏み切ります。これを機にフォード向けの供給ビジネスは変速機ユニットや小型乗用車にまで拡大。おりからの小型車ブームによる輸出の急増もあり、自動車の年間生産台数はついに100万台を突破。1982年には山口県防府市に新工場を建設し、国内二大生産拠点体制を構築しました。こうした経営状況の好転と歩調を合わせるように、東洋工業は主力の「ファミリア」「カペラ」をスペース効率に優れる前輪駆動(FF)方式へと刷新。走りの楽しさや性能のバランスの良さが世界的に高く評価され、両車とも日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。1984年には社名を「マツダ株式会社」に変更し、ブランド名と企業名の統一を図りました。
1979(昭和54年)
2月
デイトナ24時間レースで「サバンナRX-7」がGTUクラス優勝
6月
自動車の生産累計台数が1,000万台に到達
アジア・太平洋地区のフォード向けに商用車「エコノバン」「トレーダー」を供給開始
11月
フォード社と資本提携(持ち株比率25%)
12月
自動車の年間生産台数が100万台を突破
1980(昭和55年)
5月
フォードへ乗用車用マニュアルトランスミッション(MTX)の供給を開始
6月
5代目「ファミリア」(ハッチバック)を発売、FF方式を採用
9月
5代目「ファミリア」(サルーン)を発売
アジア・太平洋地区のフォード向けに乗用車「レーザー」の供給を開始
10月
3代目「タイタン」を発売、クラス初の副変速機を採用
12月
「ファミリア」が「1980-1981日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞
1981(昭和56年)
4月
北米マツダ(MANA)を設立
欧州駐在員事務所を設立
7月
スパ・フランコルシャン24時間レースで「サバンナRX-7」が日本車初の総合優勝
9月
3代目「コスモ」を発売
10月
4代目「ルーチェ」を発売
12月
防府(中関地区)のトランスミッション工場が稼働
フォード車の販売チャネル「オートラマ」が設立される
1982(昭和57年)
1月
2代目「パークウェイ」を発売
フォードへ乗用車用オートマチックトランスミッション(ATX)の供給を開始
2月
内面研削盤の生産累計5,000台を達成
6月
ル・マン24時間レースで「マツダRX-7 254」が総合14位で初完走
7月
「ファミリア」が27ヶ月で生産累計100万台に到達、FF車のスピード新記録
フォードへ商用車用ディーゼルエンジンの供給を開始
9月
防府工場(西浦地区)が本格操業を開始
4代目「カペラ」を発売、FF方式を採用
10月
オートラマへ乗用車「レーザー」「テルスター」を供給開始
12月
「カペラ/テルスター」が「1982-1983日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞
1983(昭和58年)
4月
コロンビア・CCA社で現地生産を開始
6月
1トン積み商用車「ボンゴブローニイ」(バン/ワゴン)を発売
9月
3代目「ボンゴ」(バン/ワゴン)を発売
韓国・起亜自動車へ資本参加
10月
三次自動車試験場内に自動車用風洞実験棟が完成
12月
新しい経営理念を制定、「マツダは新しい価値を創造し人びとの喜びをひろげます」
1984(昭和59年)
1月
3代目「ボンゴ」(トラック)を発売
1.5トン積み「ボンゴブローニイ」(トラック)を発売
2月
社名変更を記念した多彩な文化活動の展開を発表
5月
マツダ株式会社へ社名を変更
11月
「ボンゴワゴン/バン」に初の4WD車を追加
6代目社長に山本健一が就任
ミシガン州フラットロック市に乗用車工場を建設することを決定