年表で辿る百年史
第2章 戦後復興 ~ 三輪トラックの量産体制構築
1945年8月6日、原子爆弾により広島は壊滅的なダメージを受けます。爆心地から5kmほど離れた東洋工業は建物の損壊が限定的だったため、被災者の救護や県庁などの行政機関の受入れで地域の復興に協力しながら、自らも懸命に生産再開に向けて動き出します。1950年には業界初の1トン積みを実現した画期的な新型車を発売し、三輪トラックの大型化や高性能化、デザイン性の追求などで業界をリードする存在となっていきます。生産体制の増強も進め、終戦後は月産500台レベルだった自動車生産は、工場の大規模な移転拡張工事が完了した1953年には月産3,000台レベルまで拡大します。さらにこの時期、東洋工業は海外の有力企業と技術提携を結び、先進の素材技術や表面処理技術を積極的に導入します。近い将来の四輪トラックや乗用車への進出を見据えた戦略的な投資であり、これらの成果も盛り込んだマツダ三輪トラックは競争力をさらに高め、業界トップのシェアを盤石なものとしました。
1946(昭和21年)
1月
さく岩機、工具類の生産を再開
2月
東洋工業労働組合が結成される
1948(昭和23年)
11月
三輪トラック月産500台を達成
1949(昭和24年)
4月
「GB型」三輪トラックを発売
8月
三輪トラックの輸出を再開(インド向け)
10月
1県1特約店の設置が完了
三輪トラックの月賦販売制を実施
1950(昭和25年)
1月
「東洋工業三十年史」を発行
4月
「PB型」三輪乗用車を発売
5月
完全自社開発のさく岩機「TY24ジャックハンマー」「TY44ライトドリフター」などを発売
6月
1トン積み「CA型」四輪トラック発売
9月
1トン積み「CT型」三輪トラック発売
1951(昭和26年)
1月
商標を変更
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8月
全国巡回サービスを開始
12月
3代目社長に松田恒次が就任、会長に松田重次郎が就任
1952(昭和27年)
4月
工場の賠償指定が解除される
9月
さく岩機用の超硬ビットおよび超硬ロッドを発売
10月
2トン積み「CTL1型」で広島~東京間をノンストップ走破
1953(昭和28年)
3月
三輪トラック工場の移転拡張工事が完了、月産能力3,000台に
10月
「金語楼の広島-東京三輪栗毛」を実施
1954(昭和29年)
4月
第1回全日本自動車ショウに出品
9月
アクメレジン社とレジンコーテッドサンドの製造技術について提携
パンチカードシステムを導入
10月
三輪トラック全車種を一斉にモデルチェンジ
1955(昭和30年)
11月
日本初のレッグドリル「TY24-LD」の生産を開始
12月
連続ガス浸炭炉の火入式を実施
シェルモールド鋳造用「トーヨーコーテッドサンド」を発売
1956(昭和31年)
6月
シェルモールド法による鋳物の量産体制を確立
9月
第9回全日本実業団蹴球選手権大会で初優勝
「T-111型自動精密内面研削盤」の生産を開始
1957(昭和32年)
1月
自動車の生産累計台数が20万台に到達
8月
丸ハンドルの2トン積み「HBR型」三輪トラックを発売
10月
トランスファーマシン1号機を設置
11月
宮島口迎賓館が完成
丸ハンドルの1トン積み「MAR型」三輪トラックを発売
1958(昭和33年)
4月
小型四輪トラック「ロンパー」を発売
6月
渕崎地区の新鍛造工場で火入式を実施
11月
フォーニア・インスティチュート・オブ・テクノロジー社と液状レジン、シェルモールドおよびコア製造について技術提携
1959(昭和34年)
3月
水冷エンジン搭載の小型四輪トラック「D1100」「D1500」を発売
6月
小型三輪トラック「T600」を発売
カナディアン・ニッケル・プロダクツ社とダクタイル鋳鉄の製造技術について技術提携
7月
「m」を図案化した新マークを採用
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8月
渕崎地区の新・さく岩機工場が完成
9月
レジン製造工場が完成し、コーテッドサンドを完全国産化
10月
水冷エンジン搭載の小型三輪トラック「T1100」「T1500」を発売