数多くの名車を生んだ
マツダのクルマづくりの歴史をご体験ください。
広島本社にあるマツダミュージアムでは
更なる感動を呼ぶ生の体験をご用意して
お待ちしております。

MAZDA MUSEUM
DRONE MOVIE

ZONE
1920-1959
ものづくり精神の原点
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ZONE.1

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1920-1959

ものづくり精神の原点

生涯、技術とともに歩んだマツダの創業者、松田重次郎。13歳で単身大阪の鍛冶屋で見習いを始め、高い技術を求めて日本各地の大工場や軍需工場を渡り歩く。ものづくりへの尽きることのない情熱、独立独歩の強い意志は、やがて機械工業、そして自動車事業へとつながっていく。重次郎を原点とするマツダの歴史は、ここから幕を開ける。

真っ赤な真円に「工」描かれた「東洋工業」のコーポレートマーク。

記念すべき第1号の三輪トラック「マツダ号」(DA型)。

ZONE
1960-1969
総合自動車メーカーへの躍進
1960-1969
時代の変化に対応しながら
国際的な企業へ
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ZONE.2-3

ZONE.2-3

1960-1969

総合自動車メーカーへの
躍進

東洋工業は乗用車市場への進出にあたり「ピラミッドビジョン」という商品戦略を掲げ、すそ野にあたる軽自動車から頂上の高級セダンまで、計画的にラインアップを拡充します。商用車は軽トラックから中型トラックまで幅広く展開。エンジンはアルミ合金製の直列4気筒エンジンを主力に据えながら、独NSU社/バンケル社と技術提携し“夢のエンジン”と言われたロータリーエンジンを実用化。英パーキンス社と技術提携しディーゼルエンジンも開発。わずか10年の間に、三輪トラックメーカーから、多種多様なクルマやエンジンを有する総合自動車メーカーへと成長しました。

本社地区のF工場から初の乗用車「R360クーペ」がラインオフ(1960年)。

10A型ロータリーエンジン(1967年)。

ZONE.2-3

1970-1985

時代の変化に対応しながら
国際的な企業へ

安全、低公害、省資源といった自動車への社会的要求が急速に高まった­‑70年代。東洋工業は二度の石油危機を乗り越え、世界的な小型車ブームをつかんで国際的なビジネス展開を加速します。走りの良さをマツダ車の個性に据え、高品質なモノづくりを志向。こうした取り組みが功を奏し、FF駆動方式を採用した主力乗用車が、相次いで世界的な評価を得ます。また「フェニックス計画」で燃費を40%改善したロータリーエンジンは、コンパクトさや高出力を生かせるスポーツカーに新たな活路を見出しました。一方、日本では先駆的だったCI (コーポレートアイデンティティ)を導入し、企業シンボルやカラーを制定することで視覚的イメージを統一。­1984年には企業名とブランド名を一致させ、「マツダ株式会社」に社名変更しました。

サバンナRX-7(1978年)。

第1回日本カーオブザイヤー受賞 ファミリア(1980年)。

ZONE
MOTORSPORTS
企業と技術の威信をかけた
世界への挑戦
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ZONE.4

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MOTORSPORTS

企業と技術の威信をかけた
世界への挑戦

1960年代、ツーリングカーレースで始まったマツダのモータースポーツ活動。やがて舞台はアジアから欧州、北米に拡がり、ル・マンやIMSA、世界ラリー選手権などさまざまなレースに進出する。その中心にいたのは“飽くなき挑戦”で実用化したロータリーエンジン。背景には、マツダが誇る独自技術の優れた性能や耐久性を世界の大舞台で実証していくという、重要な使命があった。

マラソン・デ・ラ・ルート84時間レース(独)に「コスモスポーツ」で参戦。ロータリーエンジンで挑戦開始。

第59回ル・マン24時間耐久レース(仏)で「マツダ787B」が日本車史上初の総合優勝。

ZONE
1986-1995
さらなる飛躍を期した
「攻め」の拡大戦略
1996-2009
ブランド戦略を重視し
新たな成長路線へ
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ZONE.5-6

ZONE.5-6

1986-1995

さらなる飛躍を期した
「攻め」の拡大戦略

1980年代後半、マツダは激化する競争に打ち勝つために研究・開発領域を強化します。国内に技術研究所を開設したのをはじめ、欧州や米国にもR&D(研究・開発)拠点を設置。また、懸案だった米国の現地生産工場を1987年に立ち上げる一方で、国内販売も強化。市場の拡大も見越して年間80万台という意欲的な販売目標を掲げ、販売チャネルを3系統から5系統に拡大。輸入車も含めて新商品を積極的に投入していきます。その後、バブル崩壊により拡大戦略は大幅な見直しを強いられてしまいますが、この時代には個性豊かで魅力的なマツダ車が数多く世に送り出されました。

国内販売80万台を目指し「ユーノス」「オートザム」など5チャンネル体制へ(1989)。

古典的2シーターオープンのライトウェイスポーツカー「ロードスター」(1989年)。

ZONE.5-6

1996-2009

ブランド戦略を重視し
新たな成長路線へ

1997年に新ブランドシンボルを制定したマツダは、翌年「ワールドワイド・ブランド・ポジショニング」(WWBP)を定義。ブランド戦略を経営の根幹に据えています。商品開発では「走る歓び」にあふれるクルマを目指して、ブランドDNAを「際立つデザイン」「抜群の機能性」「反応の優れたハンドリングと走行性能」の特性に置き換え、これらを全面的に体現した新しい世代のマツダ車として「アテンザ」「デミオ」「RX-8」「アクセラ」を次々と発売しました。また、全世界に向けたブランド強化策として”Zoom-Zoom”(子どもの時に感じた動くことへの感動)という新しいブランドメッセージを展開。「心ときめくドライビング体験」の提供を目指しました。

ブランドDNAをフルに織り込んだ新世代商品を「アテンザ」から順次送り出す(2002年)。

新世代ロータリーエンジン「RENESIS」を開発し「RX-8」に搭載(2003年)。

ZONE
2010-TODAY
世界一のクルマを造る
技術とデザイン
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ZONE.7

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2010-TODAY

世界一のクルマを造る
技術とデザイン

すべてをゼロからつくり直し、真に世界一を目指すスピリットで挑戦した、常識を覆す技術革新。生命感をカタチにし、クルマに命を与え、魂を吹き込む意匠を追求した、高みを極めるデザイン哲学。モノ造り革新という信念のもと、飽くなき挑戦で生み出されたテクノロジーとデザインがマツダをさらに進化させていく。

「強い生命感」と「速さを感じる動き」を表現する新しいデザインテーマ。

開発部門と生産部門が連携し多様性と共通性を両立したクルマづくり。

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TECHNOLOGY
人を第一に考える
マツダのモノ造り
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ZONE.8

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TECHNOLOGY

人を第一に考える
マツダのモノ造り

環境問題や交通事故など様々な社会課題に直面し、持続可能な経済成長と社会課題の解決を図ることが求められている自動車業界。マツダは、どのような時代においても、クルマが本来持つ価値を信じ、人の心をワクワクさせるモノ造りをやめない。地球や社会と永続的に共存するクルマを提供し、カーライフを通じて人生の輝きを皆様にお届けしたいという志のもと、全社一丸となってこれからも飽くなき挑戦を続けていく。

サステイナブル “Zoom-Zoom” 宣言2030
「走る歓び」によって「地球」「社会」「人」
それぞれの課題解決を目指す新たなチャレンジ。

ZONE
ASSEMBLY LINE
皆様のクルマは
こうして生まれる
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ZONE.9

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ASSEMBLY LINE

皆様のクルマは
こうして生まれる

「多品種混流生産」が特徴的なマツダの生産ライン。高効率化を実現するため計画順序生産を取り入れ、また人の作業に同期して作動する機械や、作業者の無駄な動作を徹底的に排除するなど、長年にわたり日々改善を続けている。一切の妥協なく、高品質のクルマを最短でお客様に届けるという熱意を持った我々がクルマをつくっている。

ZONE
TOWARD THE NEXT 100 YEARS
人と共に創る
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ZONE.10

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TOWARD THE NEXT 100 YEARS

人と共に創る

2020年1月30日、マツダは創立100周年を迎えた。松田重次郎から始まったものづくりへの情熱を、これからも変わることなく受け継いでいく。クルマは単なる鉄の塊ではない。それは命あるもの。皆様と共に走り、共に歓び、共に生きていくパートナーでありたい。人を第一に考えたマツダの独自性を大切にし、皆様への感謝を胸に、次なる100年の歴史を築いていく。

MAZDA
COLLECTION
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MAZDA COLLECTION(マツダコレクション)は、お客さまが生活のさまざまなシーンで、マツダの世界観を楽しんでいただくことができるマツダオフィシャルグッズです。
お客さまにマツダブランドへの親しみを感じていただくことを目指し、マツダデザイン本部監修のもと企画・開発しました。
全国のマツダディーラーやオンラインショップなどでご購入いただけます。

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